現代のインターネット上や一部の俗説では、「秋山真之は晩年、精神を完全に病んで怪しげなオカルトに逃避した」という極端な言説が見受けられます。しかし、歴史的事実を丹念に検証すると、この解釈は明らかな偏見であることが分かります。
真之が晩年に行っていた研究は、単なる現実逃避ではなく、以下のような多角的な視線に基づいたものでした。
- 東洋哲学・易占の論理的再解釈:西洋の近代軍事学を極めたからこそ、不確実性(摩擦)を制御するための東洋的直観力や確率論として易学を学術的に探究していた。
- 第一次世界大戦の現場視察と冷徹な提言:大正初期、欧州戦線を視察した真之は、航空機や潜水艦が戦局を左右する新時代をいち早く見抜き、大艦巨砲主義に傾く海軍上層部に対して強い警告を発していた。
- 孫文らアジア革命勢力への支援:辛亥革命を主導した孫文らと深く交わり、日本の軍国主義化を牽制しながらアジアの共存共栄を模索していた。
すなわち、真之の晩年は「狂気」ではなく、近代科学万能主義の限界を悟った知識人が、東西の思想を統合してより高次の真理へ到達しようとした苦闘のプロセスであったと捉えるのが、近年の歴史研究における妥当な評価です。