小泉セツと八雲の家族関係を巡っては、今なおいくつかの誤解が存在します。歴史的事実を検証することで、その真実が見えてきます。
1. 没落士族の家名再興と八雲の「小泉家帰化」の真相
八雲は1896年(明治29年)に日本へ帰化し、「小泉八雲」と改名しました。これには「日本文化への心酔」というロマンチックな理由だけでなく、「セツの小泉家を再興し、自身が他界した後に妻子へ確実に遺産と著作権を残す」という現実的かつ切実な法的手続きの側面がありました。当時、外国人が日本で不動産を所有したり、遺族へ円滑に財産を相続させたりすることは極めて困難だったため、八雲はセツの実家である小泉家を継ぐ形を取ったのです。
2. 4人の子どもたちと現在に続く家系図
夫妻の間には、長男・一雄(かずお)、次男・巌(いわお)、三男・清(きよし)、長女・寿々子(すずこ)の3男1女が誕生しました。八雲の血脈と学術的探求心は現在も脈々と受け継がれており、曾孫にあたる小泉凡(こいずみ ぼん)氏は民俗学者・島根県立大学名誉教授、小泉八雲記念館館長として、八雲とセツの足跡を世界へ発信し続けています。
3. セツの晩年と死因
1904年(明治37年)に八雲が54歳で狭心症により急逝した後、セツは36歳の若さで未亡人となりました。遺された子どもたちを女手一つで育て上げ、八雲の著作権管理や記念碑の建立、全集の刊行作業に奔走。晩年は東京の大久保で過ごし、1932年(昭和7年)2月18日、胃がんのため64歳で波乱の生涯を閉じました。墓所は東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園にあり、最愛の夫・八雲の隣で静かに眠っています。