「なぜ韓国の名字には金・李・朴が異様なほど多いのか?」という疑問の答えは、韓国人の苗字歴史と、17世紀から20世紀初頭にかけて起きた社会制度の地殻変動に隠されています。
古代三国時代から高麗時代初期にかけて、苗字を持つことが許されていたのは王族や一部の最上位貴族に限られていました。一般の庶民(良民)や、人口の相当数を占めていた奴婢(奴隷層)などの賤民には、そもそも苗字がありませんでした。名乗れるのは「トルソエ(石の鉄)」や「ケトンイ(犬の糞)」といった幼名やあだ名に近い個人の呼び名だけだったのです。
転換点となったのは、朝鮮王朝(李氏朝鮮)後期です。度重なる戦争(文禄・慶長の役や丙子胡乱)によって財政が破綻した王朝は、軍役免除や身分解放の対価として、金銭を納めた者に官職や両班(ヤンバン=支配階級)の身分を授ける「納贖(ナプソク)」や官名だけの空辞令である「空名帖(コンミョンチョプ)」を乱発しました。
ここで重要な役割を果たしたのが、一族の系図を記した「族譜(チョクボ)」です。富を蓄えた商人や裕福な農民は、没落した両班から族譜を金で買い取る(族譜売買)か、あるいは系図を改ざんして金海金氏や全州李氏といった名門家系に「養子」や「傍系」として自らの名を滑り込ませました。名門貴族の仲間入りを果たすことは、重い納税義務や強制労働(軍役)から逃れるための死活問題だったからです。
この動きを決定づけたのが、以下の二大改革です。
- 1894年・甲午改革(カボカイヒョク):身分制度が公式に撤廃され、賤民を含むすべての階層に法的自由が認められた。
- 1909年・民籍法(ミンジョクポプ)の制定:近代的な戸籍管理のため、全国民に「姓(苗字)」の登録が義務付けられた。
突如として「苗字を名乗れ」と命じられた庶民や旧奴婢たち。彼らにとって、自作の無名な苗字をつける理由はありませんでした。「どうせ名乗るなら、かつて仕えていた主家の誇り高い苗字か、誰もがひれ伏す最高位の王族の苗字にしたい」と考えるのは自然な心理です。こうして、新羅王家以来の威光を誇る「金」や「朴」、そして直前まで朝鮮王朝の王族君主であった「李」の姓に、膨大な民衆が殺到しました。これが、金李朴多い理由の赤裸々な真実です。つまり現在の韓国に存在する金・李・朴の多くは、王朝崩壊期に自らの尊厳と平等を求めて名乗った人々の末裔でもあるのです。