1939(昭和14)年、三代目市川段四郎の長男として東京に生まれた二代目市川猿翁は、1947年に三代目市川團子を名乗って初舞台を踏みました。慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業したインテリ肌でありながら、その芸風は既存の権威や因習を徹底して打破するエネルギーに満ちていました。
1963年、祖父の初世猿翁と父の三代目段四郎が相次いで急逝。後ろ盾を失った若き三代目猿之助は、松竹の主流派から外れ「孤立無援」の境遇に立たされます。しかし、この逆境こそが彼の創造性を爆発させる起爆剤となりました。歌舞伎界の門閥制度に縛られず、才能ある役者を抜擢し、埋もれていた古典演目を独自の発想で再構築する作業に没頭したのです。
1986年に初演されたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』(梅原猛作)は、現代語の台詞、壮大な照明と音響、そして観客の頭上を舞うダイナミックな「宙乗り」を取り入れ、演劇界に一大センセーションを巻き起こしました。生涯における宙乗りの記録は5,000回以上に達し、ギネス記録にも認定されるなど、まさに身体を張って大衆演劇としての歌舞伎を現代に蘇らせました。