1984年8月30日の早朝、東京都港区南青山の自宅寝室で、有吉佐和子は冷たくなっているところを発見されました。享年53。文壇のトップランナーとして精力的にペンを執り続けていた最中の突然の悲報は、日本社会に大きな衝撃を与えました。警察による検視の結果、公式に発表された死因は「急性心不全」でした。
しかし、突如訪れた幕切れに対し、当時のメディアや世間では「精神的失調による服薬過多ではないか」「執筆のプレッシャーに耐えかねた自死ではないか」といった不穏な憶測が駆け巡りました。晩年の有吉佐和子は重度の不眠症に悩まされており、執筆に没頭するあまり昼夜逆転の生活を送り、睡眠導入剤に頼る姿が周囲に目撃されていたためです。
報道各社の当時の取材記録および娘・有吉玉青氏が後に著した回想録『身つづり半』などの手記によると、事件性は一切認められず、長年にわたる過酷な執筆活動と取材活動による肉体の酷使が決定打であったと結論づけられています。一度テーマを定めると、納得がいくまで膨大な文献を読み漁り、国内外を自らの足で歩き回る徹底した現場主義を貫いた彼女の心身は、すでに限界点を超えていました。自らを燃やし尽くすようにして原稿用紙に向かい続けた果ての、あまりにも急激な灯火の消失だったといえます。