現在の明るいキャラクターからは想像しにくいですが、出川哲朗の原点は横浜の老舗にあります。実家は1894年(明治27年)創業の海苔問屋「蔦金商店」。地元では誰もが知る名門商家の次男として生まれ育ち、少年時代はお坊ちゃんとして何不自由ない生活を送っていました。しかし高校生の頃に実家の経営が傾き、父親の多額の借金問題に直面するという人生の荒波を経験しています。
若き日の出川は矢沢永吉に心酔し、役者を志して横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)へ進学。そこで運命的な出会いを果たしたのが、同期生であるウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)でした。彼らとともに1987年に立ち上げた「劇団SHA・LA・LA」の旗揚げ公演が、エンターテイナーとしての本格的な出発点です。
ウッチャンナンチャンが「お笑い第三世代」として瞬く間にスターダムへ駆け上がるなか、出川は泥臭いアンダーグラウンドの芝居や端役を地道にこなし続けました。同期の華々しい成功に焦るのではなく、「自分にしかできない表現は何か」を突き詰めた結果が、計算のない肉体表現でした。彼が60歳を過ぎてもひな壇芸人やロケ芸人としての誇りを捨てない根底には、この劇団時代に叩き込まれた役者魂が存在しています。