1945年5月のナチス・ドイツ降伏により、ソ連は未曾有の犠牲を払った大祖国戦争(独ソ戦)に勝利しました。モスクワのクレムリンが求めたのは、ファシズムに打ち勝った偉大なる社会主義祖国と、最高司令官スターリンの神格化を決定づける音楽的記念碑でした。ショスタコーヴィチ自身も戦争末期の1944年から1945年初頭にかけて、四管編成の巨大なオーケストラと独唱・合唱を伴う大交響曲を構想中であると公言しており、楽壇や当局の期待は最高潮に達していました。
ところが、1945年夏の終戦直後に一気に書き上げられた実作は、大合唱はおろかトロンボーンすら抑制的に使われる、驚くほどスリムな2管編成の楽曲でした。初演を前にショスタコーヴィチは関係者の前で自らピアノを弾き、「音楽家たちはこの曲を喜んで演奏するだろうが、批評家たちは大いに失望するだろう」と予言じみた言葉を残しています。
公式発表資料や当時の回想録が示す通り、初演を聴いたスターリンは激しい怒りを露わにしました。独裁者が渇望した「神殿のような勝利のモニュメント」の代わりに提示されたのは、まるでサーカスのピエロが行進するかのようなコミカルな楽想だったからです。自らを讃える凱歌を期待していた権力者にとって、この軽妙さは体制に対する公然たる愚弄、すなわち「壮大な肩透かし」に他なりませんでした。