この異様な空間がただの威圧感にとどまらず、社会的な脅威として認知された決定打が、幾度となく繰り返された抗争事件でした。歌舞伎町ヤクザマンション事件の真相を探ると、昭和から平成にかけて発生した拳銃発砲事件や監禁致死事件の現場として、幾度もニュースの現場中継車が押し寄せていた生々しい記録に行き当たります。
当時の実態を物語る最大の証拠が、各部屋の「異常な要塞化」です。抗争相手からの襲撃や警察の強制捜査に備え、玄関ドアの内側には特注の防弾鋼鉄プレートが溶接され、複数本の頑丈な閂(かんぬき)が取り付けられていました。ドアスコープは外側から銃撃されないよう特殊な防弾ガラス仕様に改造され、共用廊下の四方八方を監視する広角カメラが死角なく配置されていたのです。裏社会の取材を長年続けるルポライターの手記には、次のような壮絶な証言が残されています。
「真夜中にエレベーターの扉が開くと、金属探知機を持った組員に壁際へ立たされた。廊下には消臭剤の臭いと線香の煙が混ざり合い、時折、奥の部屋から怒号と金属バットのような打撃音が響いていた。警察のガサ入れ(家宅捜索)が入る際は、捜査員が大型油圧カッターでドアを破るのに30分以上かかり、その間に室内で証拠書類が便器に流されたり焼却されたりしていた」
内部では銃器の密売、覚醒剤などの違法薬物の保管、さらには歌舞伎町アジトマンション潜入ルポで度々報じられた違法賭博(闇カジノ・裏スロット)の隠れ家としての一面も持っていました。室内での密談中に起こった内輪もめによる射殺事件や、借金を苦にした飛び降りなど、凄惨な事案が積み重なった結果、この建物群の特定の部屋番号は現在に至るまで「大島てる」をはじめとする事故物件情報サイトで赤く染まり続けることになったのです。