中村錦之助の家系図と萬屋一門の血脈|二代目と隼人へ続く光と影

中村錦之助の家系図と萬屋一門の血脈|二代目と隼人へ続く光と影

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中村錦之助という名跡のルーツを辿るには、まず歌舞伎界屈指の名門である「播磨屋」の歴史を紐解く必要があります。中村錦之助家系図の起点となるのは、明治から昭和にかけて活躍した名女方・三代目中村時蔵(1895–1959)です。三代目時蔵の妻・妃佐子は三代目中村歌六の娘であり、この夫妻の間に生まれた男子たちが、後に昭和の演劇・映画界を大きく揺るがす「小川五兄弟」となりました。

三代目時蔵の男子5人の中村錦之助兄弟構成は極めて豪華です。長男の二代目中村歌昇(贈四代目中村歌六)、次男の四代目中村時蔵、三男の初代中村獅童(現代の二代目中村獅童の父)、四男の初代中村錦之助(萬屋錦之介)、そして五男の中村嘉葎雄(映画・ドラマで名バイプレイヤーとして大成)という顔ぶれです。この五兄弟の四男として1932年に生を受けたのが、初代中村錦之助でした。

初代は1936年に初代中村錦之助を名乗って初舞台を踏み、若手女方・立役として将来を嘱望されていました。しかし1953年、当時の松竹との軋轢や映画界の勃興を機に、映画界への転身を決意します。1954年に東映に入社すると、『笛吹童子』『紅孔雀』で爆発的な人気を獲得し、美空ひばりらと共に東映時代劇黄金期の絶対的エースへと君臨しました。1971年には一門挙げて松竹・歌舞伎界を離脱し、自らの屋号を「萬屋(よろずや)」と改称、翌1972年には芸名を「萬屋錦之介」に改めました。これが萬屋錦之介家系図の成立です。

では、現在の「二代目中村錦之助」とはどのような血縁関係にあるのでしょうか。ネット上では「初代の実子」と混同されるケースが散見されますが、正確には二代目は初代の甥(兄の息子)です。四男・錦之介の実兄である次男・四代目中村時蔵(1962年に34歳の若さで急逝)の次男として生まれた小川信吾が、かつての中村信二郎であり、2007年4月の新橋演舞場公演において中村錦之助二代目を襲名しました。

初代萬屋錦之介が1997年に64歳で他界してから10年の歳月を経て、錦之助の名跡は甥の手によって見事に歌舞伎の舞台へ復帰を果たしました。二代目錦之助は立役から女方までこなす芸境の広さを誇り、伯父が残した偉大な名跡を誇り高く継承しています。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。