怪談や俗説において、真っ先に名が挙がるのが旧東海道沿いに置かれた鈴ヶ森処刑場と、日光街道沿いの小塚原処刑場だ。いずれも江戸時代を通じて数万人の罪人が露と消えた名高いお仕置き場である。しかし、結論から言えば、江戸幕府が公式に管理していたこれら両処刑場で「牛裂きの刑」が日常的に行われていたという客観的証拠は存在しない。
なぜ鈴ヶ森が伝承地として語り継がれたのか。原因は後世の講談や見世物、そして昭和の映画文化にある。鈴ヶ森処刑場跡には現在も磔柱や火あぶり柱を立てた石台が残るが、巨大な牛を2頭並べて引っ張らせるだけの広大なスペースは、街道沿いの狭小な敷地には乏しかった。専門家による最新の解剖学的・地理的アプローチでも、江戸市内の常設処刑場は「牛裂き」の実施場所として極めて不自然であることが証明されている。