織田信長の年表徹底解剖!波乱の生涯と本能寺の変に隠された真相

織田信長の年表徹底解剖!波乱の生涯と本能寺の変に隠された真相

織田信長の年表徹底解剖!波乱の生涯と本能寺の変に隠された真相を徹底追究! 読者が気になる トピックの裏側を分かりやすく展開します。

織田軍の強さを決定づけたのが、1575年の長篠の戦いです。教科書的な定説として知られた「鉄砲隊の三段撃ち」については、当時の装填プロセスや弾薬管理の観点から疑問視する論考が学会でも活発に交わされています。しかし、三段撃ちの真偽以上に評価されるべき長篠の戦いの勝因は、入念な野戦築城と複合兵科の運用にありました。

設楽原に構築された幾重もの馬防柵と空堀は、当時「無敵」と恐れられた武田勝頼の騎馬軍団の機動力を完全に無力化しました。足止めされた敵兵に対し、大量の鉄砲と長槍を連動させて十字砲火を浴びせる工兵・陣地戦の採用は、個人の武勇に依存していた中世の戦闘様式を根底から覆すものでした。

軍事力で畿内を圧倒した信長が、その権権の象徴として1576年から着工したのが安土城の築城です。琵琶湖東岸の安土山に建てられたこの城は、従来の軍事拠点としての山城とは明確に一線を画していました。

日本で初めて本格的に導入された総石垣構造、そして五層七階に及ぶ壮麗な天主。イエズス会の宣教師ルイス・フロイスは手記の中で「ヨーロッパの城殿にも劣らない壮麗さ」と驚嘆を込めて記録しています。信長は自らの住まう天主を宗教的・政治的な威光の発信源とし、訪れる公家や大名、民衆に対して圧倒的な序列を視覚的に植え付ける統治装置へと昇華させたのです。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。