使節団が派遣された実質的な動機は、深刻化していたイギリスの対中貿易赤字の打開にありました。18世紀後半、産業革命の端緒にあったイギリスでは紅茶を飲む習慣が全社会層に定着し、清からの茶の輸入量が爆発的に増大していました。一方で、自給自足体制が完成していた清朝の市場ではイギリスの主幹産品である毛織物への需要が極めて乏しく、イギリスは莫大な銀を対価として清に流出させ続けていたのです。
さらにイギリス商人を苦しめていたのが、清朝が課していた広州貿易体制(カントン・システム)でした。清朝は対外貿易を広州(現在の広州)の1港のみに制限し、皇帝から特権を与えられた商人ギルド「公行(コホン)」を通じてしか取引を認めない厳格な統制貿易を実施していました。外国商人は居留区から自由に出ることも許されず、公行による不透明な価格設定や高額な関税の搾取に苛立っていたのです。
マカートニー使節団が携えていた要求リストは、以下のような極めて踏み込んだ内容でした。
- 寧波(ニンポー)、舟山(チョウシャン)、天津などの主要港の開港
- 北京における常駐公使の駐在許可
- イギリス商人のための商品保管施設用として、舟山付近の小島および広州近郊の土地の割譲
- 公行による独占貿易の廃止と、関税率の明確化・引き下げ
これらの要求は、産業資本主義を確立しつつあった近代国家としては合理的な市場開放要求に見えましたが、伝統的な朝貢秩序を墨守する清朝から見れば、自国の領土主権と社会秩序を脅かす一方的で危険な要求に他なりませんでした。