メガヒットとなったデビュー曲『南部蝉しぐれ』の誕生と、それに続く栄光の裏には、緻密に計算された戦略と劇的な人生の転換点が存在していました。これが語り継がれる福田こうへい名曲の真相です。
岩手県雫石町出身の福田は、かつて民謡歌手として名を馳せた父・福田岩月の背中を見て育ちました。しかし、父の早世などを機に20代前半までは呉服店に勤務する営業マンという経歴を歩みます。転機となったのは23歳のときでした。本格的に民謡の修練を開始すると、持ち前の天性と猛稽古が瞬く間に開花。わずか数年で「日本民謡フェスティバル」最高賞をはじめ、名だたる全国大会で内閣総理大臣賞を総なめにするという、異例の福田こうへい民謡経歴を打ち立てたのです。
民謡界で頂点を極めた彼に目をつけた音楽プロデューサー陣が用意したのが、四家卯大(作詞:久仁京介、作曲:四方章人)の手による『南部蝉しぐれ』でした。当時の特番インタビューや手記で福田自身が「故郷・東北の山河と、泥臭く生きる人々の汗の匂いをそのまま声に乗せたかった」と述懐している通り、東日本大震災の翌年という傷跡深い時代背景も重なり、その実直で透き通った歌声は人々の乾いた心に深く染み渡りました。
有線放送から草の根で火がついた人気は瞬く間に全国へ波及し、2013年には第64回NHK紅白歌合戦への初出場を果たします。翌2014年には『峠越え』で2年連続出場を成し遂げました。歴代の福田こうへい紅白歌合戦歌唱曲を振り返ると、自身の代表曲のみならず、大先輩への敬意を込めた昭和の名曲カバー(村田英雄の『王将』など)を堂々と披露しており、伝統を次世代へと繋ぐ正統派旗手としての地位を不動のものにしました。