『笑点』の歴史を語るうえで欠かせないのが、番組の舵取りを担ってきた司会者たちの交代劇です。1966年5月15日の初回放送から現在に至るまで、司会台に座ったのはわずか6名。その一人ひとりが番組のカラーを決定づける重責を担い、時代の転換点において象徴的な役割を果たしてきました。
初代司会者立川談志降板真相の背景には、強烈な作家性とテレビ演出の衝突がありました。立川談志はもともと「落語家によるブラックユーモアと知的遊戯の場」として番組を企画・立案しました。しかし、談志が求めるエッジの利いた毒舌やお色気路線に対し、日曜夕方の視聴者層に合わせたお茶の間向けバラエティを目指す制作陣やレギュラー陣との間で徐々に亀裂が生じます。決定打となったのは1969年、談志が第32回衆議院議員総選挙への出馬を決意したことでした。政治活動との兼ね合いに加え、当時のメンバーであった五代目三遊亭圓楽らが談志のワンマン体制に反発して集団降板騒動に発展。談志はわずか3年半で自ら生み出した番組を去ることになったのです。
その後、過渡期として司会を務めた前田武彦(2代目)を経て、番組の黄金期を切り拓いたのが喜劇役者の三波伸介(3代目)でした。落語家以外のタレント司会者として就任した三波は、「減点パパ」の愛称と豪快なツッコミでメンバーの個性を引き出し、最高視聴率36.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という不滅の金字塔を打ち立てました。しかし1982年12月、解離性大動脈瘤により52歳の若さで急逝。番組は最大の危機に直面します。
この危機を救ったのが、かつて談志と対立して降板していた五代目三遊亭圓楽(4代目)の司会就任でした。「星の王子さま」として親しまれた圓楽は、包容力あふれる笑顔と格調高い進行で『笑点』を国民的行事の域にまで押し上げ、23年間にわたり番組の顔として君臨しました。脳梗塞のリハビリを経て勇退した後、回答者席のエースであった桂歌丸(5代目)へバトンタッチが行われます。
春風亭昇太司会就任経緯が明らかになったのは、2016年5月、番組50周年の節目でした。歌丸が体調面から勇退を発表した際、世間やメディアの後継者予想では三遊亭円楽(六代目)や三遊亭小遊三の名が有力視されていました。しかし、日本テレビ制作陣が下した決断は、当時56歳で回答者席の中堅であった春風亭昇太の大抜擢でした。関係者への取材によると、長寿番組の硬直化を防ぐため「先輩落語家たちにいじられ、番組全体をスピーディーに動かせるフレッシュな司令塔」が必要とされたことが決定打でした。この若返り人事が見事に功を奏し、番組は令和の現在まで安定した高視聴率を維持し続けています。