『さよなら』『Yes-No』『言葉にできない』などメガヒットを連発し、5人編成となって日本の音楽史に金字塔を打ち立てたオフコースですが、1982年6月30日、日本武道館10日間公演を最後にオリジナルメンバーである鈴木康博が脱退します。
この脱退劇の背景には、外から見える「不仲」といった単純な言葉では片付けられない、クリエイター同士の深刻な葛藤と成熟がありました。グループ初期、小田と鈴木は対等なソングライターとして切磋琢磨していましたが、バンドのブレイクとともに「小田和正のハイトーンボイスと叙情的なバラード」がグループの代名詞として社会に受容されていきます。
ロック志向やアメリカン・ポップス色を強めたかった鈴木康博にとって、強大化する「オフコース像」と自己のアイデンティティの不一致は限界に達していました。当時のドキュメンタリー特番や自著において、鈴木は「小田と自分の音楽に対する責任の取り方が違ってきた」「自分の力だけで音楽を完結させたい」という趣旨の吐露を残しています。心理学でいう「共依存的な共同体からの自立」と「個人の心理的バウンダリーの確立」が、国民的バンドの分岐点となったのです。