茨木のり子「自分の感受性くらい」なぜ今も心刺す?ばかものよの真意

茨木のり子「自分の感受性くらい」なぜ今も心刺す?ばかものよの真意

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なぜ茨木のり子は、ここまで厳格に「時代のせいにするな」と自らを律したのでしょうか。その背景には、彼女が青春時代に通過した昭和の戦争体験が横たわっています。

1926年(大正15年)に生まれた茨木は、帝国女子医学薬学専門学校(現・東邦大学)在学中の1945年、19歳で終戦を迎えました。空襲に怯え、飢えに苦しみ、国家の掲げる美名に純真な信を置いていた多感な時期に、国は呆気なく敗北。昨日まで戦争を賛美していた教育者や言論人たちが、一夜にして掌を返して民主主義を唱え始める欺瞞を、多感な少女は目の当たりにしました。

代表作「わたしが一番きれいだったとき」で、青春の華やぎを戦争に奪われた悔しさを詠った茨木にとって、「空気に流されて自分の頭で考えないこと」は、国家の過ちへ加担することと同義でした。戦後、川崎洋とともに同人詩誌『櫂(かい)』を創刊し、谷川俊太郎や吉野弘、大岡信らとともに戦後現代詩の地平を切り拓いた際も、その底流には常に「二度と時代の波に個人の精神を明け渡さない」という強靭な誓いがありました。

『自分の感受性くらい』が雑誌に発表されたのは1975年、単行本として上梓されたのは1977年のことです。高度経済成長が頂点に達し、オイルショックを経て社会が消費社会・管理社会へと変質していく中で、人々が豊かさと引き換えに感性を摩耗させていく姿に、茨木は戦時下の同調圧力と通底する危うさを嗅ぎ取っていたのです。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。