モントリオール以降、世界の壁は急速に高くなり、かつての絶対的強者としての影は薄れていった。シドニー五輪の出場権を逃すという史上初の危機に直面した日本バレー界が再生を託したのが、柳本晶一であった。2000年代初頭、低迷に苦しむチームを引き受けた柳本は、従来のトップダウン型指導から一転、選手との「対話」を重視するスタイルへと舵を切る。
「柳本ジャパン」と呼ばれたチームは、個々の自律性を引き出すことで暗雲を振り払った。2004年アテネ五輪への出場権を勝ち取り、メダル争いの前線へ復帰させた手腕は、指導者と選手の新しい信頼関係のあり方を提示した。