元売れっ子芸能人が伝統芸能に飛び込む際、世間から最も浴びせられやすいのが「タレントの知名度を利用した道楽」「話題作りのお遊び」という冷ややかな視線です。しかし、桂三度に対する演芸界の視線は入門直後からまったく異なっていました。
師匠である桂文枝は、入門を認めるにあたって一切の特別扱いを禁じました。三度もまた、若手の前座に混ざって楽屋の雑務を徹底的にこなし、師匠の稽古には直立不動で臨みました。文枝は後にメディアの取材で「彼はプライドを完全に捨てて飛び込んできた。噺の構成力は最初から非凡だったが、それ以上に落語に対する謙虚さと執念が凄まじかった」と述懐しています。
楽屋関係者や落語通の間でも、三度の評価は極めて硬派なものです。 「テレビの知名度に頼る姿勢が一切ない。枕(導入部)でナベアツ時代のギャグに逃げることもせず、古典落語で骨格を学び、新作落語で勝負している」 「天満天神繁昌亭の楽屋でも、他の若手や裏方への気配りが群を抜いて腰が低い」 といった声が現場から一貫して聞こえてきます。色物(バラエティ)出身というレッテルを、現場での誠実な立ち居振る舞いと稽古量だけで剥がしていったのです。