葛飾北斎『蛸と海女』の謎を解く|なぜ描かれたのか?意味と海外の評価

葛飾北斎『蛸と海女』の謎を解く|なぜ描かれたのか?意味と海外の評価

葛飾北斎『蛸と海女』の謎を解く|なぜ描かれたのか?意味と海外の評価について見逃せない 事実を分かりやすい構成で解説いたします。

『富嶽三十六景』で知られる葛飾北斎ですが、その創作エネルギーの頂点の一つは間違いなく春画(笑い絵)の領域にありました。『蛸と海女』は、1814年(文化11年)に刊行された艶本『喜能会之故真通』(全3巻)の中巻に収められた無題の図版です。現在広く知られるタイトルは、後世の研究者や愛好家によって付けられた通称です。

本作がなぜ描かれたのかという問いを解く鍵は、当時の江戸の出版事情と「古典の見立て(パロディ)文化」にあります。本作の直接的な元ネタ(下敷き)となったのは、能の演目『海士(あま)』や讃岐国志度寺に伝わる「玉取姫(たまとりひめ)伝説」です。藤原不比等のために竜宮城から宝珠「面向不背の玉」を奪い返した海女が、追手の竜神や海の怪異から宝を守り抜くという有名な英雄譚を、北斎は極上のエロティシズムと諧謔をもって再解釈しました。

先行する絵師たち(喜多川歌麿や勝川春潮など)も海女の裸身を題材にしていましたが、北斎はそこに「大小二匹の蛸」を配するという前代未聞の奇想を導入しました。江戸後期の町人文化が成熟し、知的な刺激と奇抜な視覚表現を求めていた読者層に向け、北斎は圧倒的な画力で応えたのです。

山崎 陸
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山崎 陸

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