映画界の頂点を極め、順風満帆に見えた二人のキャリアに壊滅的な打撃を与えたのが、1966年7月に起きた予期せぬ悲劇でした。いわゆる浜田光夫の負傷事件の経緯は、今なお芸能界における重大受難事故として記録されています。
ロケ先の名古栄の飲食店において、浜田は居合わせた泥酔者から理不尽な絡まれ方をされ、砕かれたビール瓶の破片で右眼付近を深く突き刺される重傷を負いました。傷は右眼球の角膜に達し、一時は「完全失明は不可避」と医師から宣告されるほどの危機的状況でした。看板スターの視力喪失の危機と俳優生命の断絶という衝撃的なニュースは、日本中を震撼させます。
この未曾有の災禍において、誰よりも心を痛め、行動を起こしたのが吉永小百合でした。吉永は撮影スケジュールの合間を縫って病院へ駆けつけ、憔悴しきった浜田とその家族を励まし続けました。吉永は単に見舞いに訪れるだけでなく、関係各所に対して「浜田君の復帰を信じて待ちたい」と訴えかけ、日活社内にも配慮を求めました。
失意の底にあった浜田にとって、吉永の存在はまさに暗闇の中の灯火でした。浜田は後年のインタビューで、「絶望して自暴自棄になりかけていたとき、小百合ちゃんの純粋な励ましと、何としても現場へ戻るんだという思いだけが自分を支えてくれた」と述懐しています。過酷な複数回の手術と1年以上に及ぶ過酷なリハビリを経て、浜田は奇跡的に視力を一部回復させ、銀幕への復帰を果たします。この苦難を共有した経験によって、二人の絆は単なる仕事仲間を超え、生死の淵を共に見つめ合った「生涯の盟友」へと昇華したのです。