伏龍部隊の真の恐怖は、実戦の場ではなく、むしろ「実戦に至る前の訓練環境」にありました。隊員たちが装備した潜水具は、海面に気泡を出して敵に発見されるのを防ぐため、排気を出さない「呼気再循環式潜水器」が採用されていました。
しかし、この装置の構造的欠陥が次々と惨劇を引き起こします。吐き出した息に含まれる二酸化炭素を除去するため、缶に詰められた「苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)」の吸収剤を使用していたのですが、これが激しい化学反応を起こしました。
生存者の手記や当時の整備員たちの証言記録には、次のような壮絶な現場の様子が生々しく残されています。
「潜水具の接続部から海水がわずかでも侵入すると、苛性ソーダと激しく反応して沸騰し、強アルカリ性の熱湯と有毒ガスが口元へ逆流してくる。喉や肺を瞬時に焼き爛れさせ、隊員は激痛と呼吸困難で失神し、そのまま海底で溺死するしかなかった」
横須賀海軍工作学校や神奈川県野島、千葉県久里浜、土浦などの訓練基地では、実戦を経験することなく、訓練中の事故によって命を落とす少年兵が相次ぎました。
伏龍の戦死者数・殉職者数については、終戦時に軍極秘資料の多くが焼却処分されたため正確な公的統計は残されていません。しかし、戦後の生存者団体の調査や研究者の推計によると、訓練中の事故死者・殉職者だけで少なくとも数十名(40〜50名前後、一説には100名近く)にのぼるとされています。敵と交戦することなく、未完成な実験兵器の欠陥によって尊い命が失われていった現実は、特攻という作戦が孕む本質的な残酷さを如実に物語っています。