テーブルの上に並べられた食事メニューにも、画期的な観察眼が光っています。新約聖書の記述に基づけば、最後の晩餐はユダヤ教の「過越(すぎこし)の祭り」の食事であり、本来であれば生贄の子羊(子羊の肉)が供されるはずの場面です。しかし、修復によって鮮明になった皿の上にあったのは、切り分けられた魚料理(うなぎ、またはニシン)とオレンジのスライスでした。
なぜダ・ヴィンチは、聖書の伝統を外れて魚を描いたのでしょうか。これには二つの明確な背景が存在します。
第一に、当時のミラノ宮廷(スフォルツァ家)の食文化の反映です。修道院の食堂という空間において、そこに集う修道士たちが日常的に食していたメニューとリンクさせることで、聖書の遠い出来事を「今、目の前で起きている現実」として錯視させる狙いがありました。
第二に、イタリア語の言葉遊び(語呂合わせ)と宗教的ダブルミーニングです。イタリア語でうなぎは「aringa」に似た語感を持ち、これは「説教する」を意味する語句に通じます。また魚そのものは初期キリスト教時代から「イエス・キリスト・神の子・救世主」の頭文字を並べた暗号(イクテュス)として使われてきました。ダ・ヴィンチは写実的な静物画を描きながら、そこに神学的な多重構造を仕組んでいたのです。