本作の構造的な美しさは、読者に「Side-A(過去の静岡編)からSide-B(現在の東京遠距離編)へと時間がリニアに流れている」と強烈に誤認させる点にあります。しかし、作中に散りばめられた1980年代当時の流行歌、テレビ番組、金曜日の日付といった客観的事実を丹念に拾い上げると、驚くべき真実が浮き彫りになります。二つの物語は前後関係ではなく、1987年の夏から冬にかけて全く同じ時間軸で並行して起きていた出来事だったのです。
マユは、遠距離恋愛となった東京の恋人・辰也との関係が冷え込み始めた1987年7月下旬、地元・静岡で開催された合コンに参加しました。そこで出会ったのが、理系大学生の鈴木夕樹です。つまり、マユは辰也と付き合いながら、同時に夕樹を自分好みの男性へと育成し、見事に乗り換える準備を着々と進めていたことになります。
乾くるみ氏は、1980年代のヒットチャート(太田裕美『木綿のハンカチーフ』やSHOW-YAなど)を各章のタイトルに据えることで、昭和後期の空気感を緻密に再現しました。カセットテープのA面とB面を模した章立てそのものが、「同じテープ(時間)の裏表」を意味していたという構成の美しさは、読後感の戦慄を倍増させる決定的な要因です。