「の」が付いた経緯が政治的妥協であるならば、そもそもベースとなった「2月11日」という具体的な日付はどこから導き出されたのでしょうか。その源流は、奈良時代初期の西暦720年に完成した歴史書『日本書紀』にあります。
神武天皇の即位日「辛酉年春正月庚辰朔」の謎
『日本書紀』の神武紀には、神武天皇が畝傍の橿原宮(現在の奈良県橿原市)において初代天皇に即位した日付が次のように記されています。 「辛酉年春正月庚辰朔(かのとのとり とし はる しょうがつ かのえたつ ついたち)天皇、橿原宮に即位す」 これは「辛酉(かのとのとり)の年の春1月1日(新月の朔日)」を指します。古代中国の政治思想である「緯書(いしょ)」には、天命が改まる大変革の周期として「辛酉革命説」が存在しました。60年に一度巡る辛酉の年は小変革、さらにその21周期(1260年)にあたる辛酉の年には王朝交代を伴う大革命が起こると信じられていたのです。『日本書紀』の編纂者たちは、この壮大な暦法思想を取り入れ、推古天皇9年(西暦601年)の辛酉から1260年遡った「紀元前660年」を神武天皇即位の年と設定したというのが、現代の近代歴史学における通説です。
明治政府による太陽暦換算の舞台裏
江戸時代まで、この神話上の日付が国民的な祝祭日として祝われることはありませんでした。決定打となったのは明治維新です。近代国家としての体裁を整え、国民統合を進めたい明治新政府は、国家のルーツを天皇の始祖に求める政策を推進しました。 1872年(明治5年)11月15日、太政官布告第344号「神武天皇御即位祝日例年御祭典」が出され、神武即位を祝う祝日が定められました。しかし、当時の日本はまだ天保暦(旧暦)を用いていたため、当初は旧暦の1月1日をそのまま明治の太陽暦に置き換え、1月29日を祝日と定めました。 ところが直後の1873年(明治6年)、日本は太陽暦(グレゴリオ暦)を正式に導入します。政府の天文学者・暦計算担当者が、紀元前660年の旧暦1月1日をグレゴリオ暦に改めて正確に逆算し直したところ、実際には「2月11日」に相当することが判明したのです。同年、太政官布告によって祝祭日の名称は「紀元節」と改められ、日付も2月11日に変更されました。私たちが今日休んでいる2月11日という日は、古代の予言思想と明治の科学的な改暦作業が交差して生まれた人工的な日付なのです。