おつやの方の悲劇と処刑理由|信長の叔母が選んだ女城主の覚悟

おつやの方の悲劇と処刑理由|信長の叔母が選んだ女城主の覚悟

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元亀3年(1572年)冬、武田信玄による西上作戦が本格化すると、武田軍の重臣「武田二十四将」の一人である秋山虎繁(信友)が東美濃侵攻を開始し、岩村城を完全包囲します。この「岩村城の戦い」において、城内は極限状態に追い込まれました。

織田軍本隊は浅井・朝倉連合軍や三好三人衆、本願寺勢力との対応に追われており、東美濃へ十分な援軍を送る余力はありませんでした。補給路を断たれ、兵糧が尽きかけた絶望的な籠城戦のさなか、秋山虎繁側から驚くべき開城条件が提示されます。

提示された条件は、「城兵および城下の領民の命を保証すること」「養子である御坊丸を無事に育てること」、そしてその担保として「おつやの方が秋山虎繁の妻となること」でした。敵将の妻になるという選択は、織田家から見れば明白な敵対行為を意味します。しかし、援軍が絶望的な状況下で家臣と民を餓死と虐殺から救うため、おつやの方は自らの身を犠牲にして開城・婚姻を受け入れたのです。

婚姻後、幼い御坊丸は武田の本拠地である甲府へ人質として送られることになりましたが、秋山虎繁とおつやの方の夫婦仲は敵味方の打算を超えて非常に睦まじかったとも伝えられています。

中川 明日香
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中川 明日香

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。