海軍甲事件から得られる最も重い教訓は、「精神論で科学とインテリジェンスの格差を埋めることはできない」という冷徹な事実です。
米軍は山本の暗号を傍受した後、即座に大統領承認、作戦立案、長距離戦闘機の改造(増槽タンク手配)、秒単位のフライトプラン構築という緻密なオペレーションを完遂しました。対する日本側は、敵の技術的進歩(P-38の長距離進出能力)を想定せず、「前線慰問」という精神的高揚を最優先して最低限の警戒態勢すら怠りました。
事件後、山本の死は1か月以上秘匿され、1943年5月21日に大本営から発表されました。同年6月5日には日比谷公園で大規模な国葬が執り行われ、山本は「軍神」として祭り上げられます。しかし、神格化されたセレモニーの裏で、暗号保全の欠陥という根本原因は隠蔽され、組織の反省へと繋がることはありませんでした。現実を直視せず、英雄の美談に逃避した組織の末路が、その後の破局的な敗戦へと直結していったのです。