横山がテレビ番組や手記で明かした生い立ちは、想像を絶する過酷なものでした。幼少期に両親が離婚し、母親が再婚。新しくやってきた義父との折り合いは悪く、横山だけが棒で叩かれるなどの肉体的・精神的な暴力を受け、一時期は祖父母の元に預けられて生活していました。
やがて母親と義父の間に2人の弟が誕生しますが、家庭環境の悪化と経済的な困窮は続きます。母親と義父が離婚した後、思春期を迎えた次男の勤さんを大きな悲劇が襲いました。
次男を襲った「記憶喪失」の衝撃
家庭内の過度なストレスと環境の激変が原因となり、次男が突然解離性健忘(記憶喪失)を発症したのです。病院に駆けつけた横山に対し、弟は周りの看護師や風景は認識できるものの、目の前にいる横山のことだけを指さし「この人、誰?」と言い放ちました。
自身の著書やインタビューで横山は、その瞬間に崩れ落ちるほどの絶望とショックを受けたと回想しています。しかし横山は諦めず、弟の記憶を取り戻すために思い出の場所へ連れ出し、二人で過ごした時間を根気強く語りかけ続けました。その献身的な看病が実を結び、約2年という歳月をかけて弟の記憶は徐々に回復していきました。
2010年、最愛の母の急逝と誓った「父親代わり」
兄弟の絆を取り戻した矢先の2010年5月、さらなる試練が横山を襲います。最愛の母親が、50歳という若さでスーパーでの買い物中に突然倒れ、心不全により急逝したのです。
当時、横山はソロコンサートツアーの青森公演当日でした。本番直前に訃報を聞かされた横山は、悲痛な叫びを上げながらも「ステージに穴を開けるわけにはいかない」と涙を拭い、気丈に公演を完遂しました。母の葬儀を終えた後、29歳だった横山は親族や弟たちの前でこう誓いました。
「オカンが亡くなった今、俺がこの子たちの父親代わりになる。絶対に2人を一人前に育てる」