日本におけるノーパン喫茶発祥の地は、古都・京都です。1980年11月、京都市中京区の木屋町にオープンした「美人工房(びじんこうぼう)」こそが、すべての発端とされています。床一面にステンレスの鏡面パネルやアクリルミラーが敷き詰められ、ノーパンの女性スタッフが超ミニスカートで注文を取りに来るという異様な空間は、瞬く間に口コミで関西中に知れ渡りました。
このビジネスモデルの成功を嗅ぎつけた興行関係者や夜の仕掛け人たちによって、ノウハウは一気に東京へ持ち込まれます。なかでも新宿歌舞伎町に進出した『USA』などの有名店は連日満員となり、ビルの階段には順番待ちの男性客が長蛇の列を作りました。昭和サブカルチャーの論客であるみうらじゅん氏は、当時の様子を週刊誌の対談で次のように証言しています。
「普通の純喫茶だった店が、ある日突然看板を掛け替えてノーパン喫茶に衣替えしたケースもあった。昨日まで普通にトーストを運んでいた女性店員が、次の日にはノーパンで接客しているのを見て時代の狂気を感じた」
また、歌舞伎町『USA』で看板ウェイトレスとして絶大な人気を誇ったイヴ氏の手記や証言によれば、1983年当時の彼女たちの稼ぎは破格でした。一般的な学生アルバイトの時給が450円〜500円程度だった時代に、ノーパンウェイトレスの時給は3,000円から5,000円に達し、歩合やチップを含めて日給数万円を持ち帰る女性も珍しくありませんでした。女性たちにとっても「体に触れられず、ただお茶を運ぶだけで大金が手に入る割のいい仕事」として映り、女子大生やOLが続々とフロアに立つ事態を招いたのです。