意識の上では「悲しい」「辛い」と感じていないにもかかわらず、目から涙がこぼれ落ちる背景には、脳内の情動制御ネットワークの疲弊が存在します。通常、人間の脳では大脳辺縁系(扁桃体など)から生じた強い感情やストレス反応を、理性的な思考を司る前頭前野が適切に抑制・制御しています。ところが、過密な業務や人間関係の摩擦、慢性的な睡眠不足などによって脳への過負荷が長期化すると、前頭前野の神経伝達が著しく低下し、感情の蛇口を閉めるストッパー機能が失われてしまいます。
この神経機能の低下と連動するのが、自律神経系の急激なリバウンド現象です。交感神経が極度の緊張状態でフル稼働し続けた結果、生体の恒常性(ホメオスタシス)を保とうとする防衛本能が働き、ブレーキ役である副交感神経が突発的かつ過剰に作動します。涙腺の分泌は副交感神経に支配されているため、意思とは無関係に大量の涙が分泌される結果となります。これが、医学的・生理学的に解明されている悲しくないのに涙が出る原因の正体です。
さらに見逃せないのが、「過剰適応」による感情の麻痺です。日頃から周囲の期待に応えようと我慢を重ねている人ほど、辛さや苦痛を感じないよう無意識に感情を切り離す防衛機制(アレキシサイミア傾向)が働きます。心は「まだ大丈夫」と錯覚していても、肉体は限界を超えて悲鳴を上げており、そのギャップが「感情なき涙」として噴出しているのです。