失脚後の田沼を徹底的に批判し、その政策を全否定したのが、その後に老中へと就任した松平定信であった。定信が進めた寛政の改革は、質素倹約と農村復興を掲げる懐古主義的な農政回帰政策だった。自らの政治的正当性を強調するため、定信ら反対派は田沼時代を「金権政治」「道徳的腐敗の時代」として強く印象付けた。
歴史の記録は勝者によって書かれる。松平定信側の史料や後世の風刺画が歴史の主流となったことで、「賄賂政治家・田沼意次」という強い偏見が長年にわたって固定化されることとなった。しかし現代の史料批判は、このレッテルが政敵による政治的プロパガンダであったことを明確に指摘している。