灘五郷(西郷、御影郷、魚崎郷、西宮郷、今津郷)が日本の頂点に立ったのは、単なる偶然ではありません。江戸時代中期から後期にかけて巻き起こった、輸送と流通の地殻変動が発端となっています。
当時、百万都市へと膨れ上がっていた巨大消費地・江戸では、関西から運ばれる上質な上方酒(かみがたざけ)が「下り酒(くだりざけ)」として圧倒的な人気を博していました。灘の蔵元たちは、六甲山の急流を利用した水車精米をいち早く導入。従来の足踏み精米では精米歩合85%程度が限界だった時代に、水車を使うことで精米歩合75〜80%という当時としては驚異的な高度精白を実現し、雑味の劇的に少ない酒を大量に醸すことに成功しました。
加えて、海岸沿いに位置する地の利を活かした「樽廻船(たるかいせん)」による海上輸送網の構築が決定的でした。内陸の酒蔵が陸路で時間をかけて運ぶ中、灘の蔵元は西宮港などから江戸の深川まで、わずか十数日程度で大量の樽酒を輸送したのです。輸送中の適度な揺れと杉樽の香味が、硬水仕込みの男酒の角をほどよく丸め、江戸に到着する頃には極上の味わいへと熟成されていました。灘の酒造組合等の記録を紐解くと、江戸末期には江戸市中で消費される酒の約8割を灘の酒が占めていたと記録されています。この圧倒的な供給能力と品質の高さが、今なお続く日本一の生産シェアの揺るぎない土台となっています。