志村けん(本名:志村康徳)さんの喜劇人としての原点は、高校卒業直前の1968年、いかりや長介さんの自宅へ直談判に訪れた「付き人志願」から始まりました。吹雪の中、何時間も玄関先で待ち続けた末に弟子入りを許されたという逸話は有名です。加藤茶さんの付き人を務めながら、コントの合間にエキストラとして舞台の袖で間合いと客の反応を観察し続けた日々が、若き日の志村さんの基礎を作りました。
転機が訪れたのは1974年、志村さんが24歳の時です。メンバーだった荒井注さんの脱退に伴い、ザ・ドリフターズの正式メンバーに抜擢されました。当初は「新入り」として客席の反応も芳しくなく、極度のプレッシャーに苦しんだと自著『変なおじさん』でも告白されています。
その重圧を打ち破ったのが、TBS系の国民的バラエティ番組『8時だョ!全員集合』で披露した「東村山音頭」でした。出身地である東京都東村山市をコミカルに歌い上げるこのナンバーは、子どもから大人まで瞬く間に社会現象を巻き起こします。「イッチョメ、イッチョメ、ワオ!」という奇抜なフレーズとともに、志村さんは瞬く間にドリフの主役に躍り出ました。
以降、加藤茶さんとの名コンビによる「ヒゲダンス」、じゃんけんの決まり文句となった「最初はグー」の考案など、日本のポップカルチャー史に残るムーブメントを次々と生み出していきます。当時を振り返るインタビューで志村さんは、「客がどこで息を吸い、どこで緊張が解けるのか。笑いは徹底的なリズムとタイミングの計算だ」と語っており、天性のひらめき以上に、冷徹なまでの職人気質がその芸を支えていたことがうかがえます。