雅子さまと孝徳天皇の繋がり、小和田家系図で判明した驚愕の真相

雅子さまと孝徳天皇の繋がり、小和田家系図で判明した驚愕の真相

雅子さまと孝徳天皇の繋がり、小和田家系図で判明した驚愕の真相の注目されている理由を専門的かつ分かりやすくまとめました。全体像を一目で把握できます。

一方、もう一つの当事者である孝徳天皇側の血統史を振り返ると、噂の不成立はより決定的なものとなります。

孝徳天皇は、敏達天皇の曾孫であり、舒明天皇の崩御後、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足が蘇我入鹿を暗殺した乙巳の変(645年)の直後に即位しました。元号を「大化」と定め、難波への遷都や改新の詔を発布するなど古代律令国家の礎を築いた人物です。

この孝徳天皇の血筋において最も重要な史実は、天皇の直系男系が古代の早い段階で途絶えているという点です。孝徳天皇の唯一の皇子として歴史に名を残すのが有間皇子(ありまのみこ)です。有間皇子は政争に巻き込まれ、斉明天皇4年(658年)、わずか19歳で謀反の罪を着せられて紀の湯(和歌山県白浜)へ送られ、藤白坂で処刑(絞首)されました。

有間皇子に子供がいたという確実な歴史記録は一切存在しません。つまり、孝徳天皇の直系子孫が現在まで続いているという前提そのものが、学術的な正史(『日本書紀』等)に照らして成り立たない仮説なのです。仮に母方を介した遠縁を辿るとしても、それは天智・天武系を通じて皇統全体に溶け込んでいるのであり、特定の民間武士家系が単独で「孝徳天皇の末裔」を名乗る根拠にはなり得ません。

渡辺 美咲
著者

渡辺 美咲

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。