大山崎山荘美術館の魅力とは?モネ睡蓮と安藤忠雄建築を徹底解説

大山崎山荘美術館の魅力とは?モネ睡蓮と安藤忠雄建築を徹底解説

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この風光明媚な山荘が誕生した背景には、大正から昭和初期に活躍した関西の実業家・加賀正太郎(1888–1954)の並々ならぬ情熱がありました。加賀は証券会社の設立に関わった財界人であり、登山家としても知られ、ヨーロッパアルプス最高峰のユングフラウ登頂を果たした日本屈指の先駆者でもあります。

加賀は英国留学時代に魅せられたチューダー様式の建築やライフスタイルを再現すべく、自ら基本設計図を引き、1912年から十数年の歳月をかけて大山崎山荘を造営しました。鉄筋コンクリート造の基礎の上に重厚な木造を組み合わせた本館、敷地内の温室で栽培された洋蘭の数々、随所に散りばめられた意匠には、加賀の徹底した美意識が宿っています。なお、加賀はニッカウヰスキーの創業期において筆頭株主として竹鶴政孝を支えた大恩人としても知られています。

しかし、加賀の没後、山荘は持ち主を転々とし、バブル経済崩壊期には開発業者によるマンション建設で取り壊しの危機に瀕しました。地域の貴重な歴史的遺産と自然が失われることを憂慮した地元住民や京都府・大山崎町が保存運動を展開。これに応えたのが、当時のアサヒビール株式会社(現・アサヒグループホールディングス)の社長であった樋口廣太郎氏でした。

アサヒビールの初代社長・山本爲三郎氏が生前、加賀正太郎と親交が深かったこと、また山本自身が柳宗悦や河井寬次郎、バーナード・リーチらの民藝運動を強力に支援した大コレクターであったという歴史的縁(えにし)から、企業メセナとして山荘の保存・再生を決定。安藤忠雄氏による新館建設と本館の忠実な修復を経て、1996年4月に美術館として再生を果たしました。

清水 千尋
著者

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。