長崎西坂に散った55名の手記が語る元和の大殉教と禁教令の真相

長崎西坂に散った55名の手記が語る元和の大殉教と禁教令の真相

長崎西坂に散った55名の手記が語る元和の大殉教と禁教令の真相の概要と注目ポイントを一挙に解説しました。

なぜ徳川幕府は、これほど過激な処刑に踏み切ったのか。その元和の大殉教 理由を読み解く上で外せない歴史的事件が、1620年に発生した「平山常陳事件」です。

1620年、朱印船船長であった平山常陳の船が台湾沖でイギリス・オランダの連合艦隊に拿捕され、平戸へ連行されました。船内を捜索したプロテスタント国(英蘭)の乗組員は、商人に偽装して密入国を図ろうとしていたアウグスチノ会のペドロ・デ・スニガ神父とドミニコ会のルイス・フロレス神父を発見します。当時、カトリック陣営(スペイン・ポルトガル)と激しい貿易利権争いを繰り広げていた英蘭は、この事実を幕府へ密告しました。

当時、二代将軍徳川秀忠 禁教令はすでに出されていたものの、地方では依然として宣教師の潜伏活動が黙認されるケースが残っていました。しかし、幕府直轄の綿密な取り調べと激しい拷問の末、平山船の船員が宣教師の密入国を認めると、徳川秀忠の態度は一変します。「宣教師が商船に紛れて密入国を繰り返し、国内の信徒組織と結託して幕府の統制を脅かしている」という確信が幕閣を支配した瞬間でした。

幕府にとってキリスト教は、単なる異端宗教ではなく、スペインやポルトガルによる軍事侵略の先兵であり、封建領主と領民の主従関係を根底から覆す「国家転覆の火種」と映っていました。秀忠は1622年、平山常陳と密入国宣教師2名を火刑に処したのを皮切りに、長崎・大村の牢獄に収監されていた宣教師と信徒の全員処刑を決断。これが「元和の大殉教」を引き起こした決定的な経緯と真相です。

加藤 愛美
著者

加藤 愛美

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。