日本中から祝福された結婚生活は、12年後の1997年1月に終止符を打つことになります。世間を騒然とさせた破局の背景には、単一のスキャンダルだけでは語り尽くせない、ふたりの生き方とキャリア観の決定的な乖離がありました。
当時、女性誌やワイドショーは松田聖子さんの全米進出に伴う外国人ダンサーとの熱愛疑惑や、いわゆる「すれ違い生活」を書き立てました。しかし、関係者の証言や当時の手記を検証すると、根底にあったのは「理想とする家庭像の根本的な相違」でした。石原プロモーションという伝統的な体育会系組織に身を置き、「家庭は男が守り、妻には穏やかに支えてほしい」という古風な価値観を内面に持っていた神田正輝さんに対し、松田聖子さんは母となってもなお、自己表現への尽きない情熱と世界進出の野心を燃やし続けていました。
松田さんは結婚後も活動を制限されることを好まず、家庭内にとどまる旧来の「良妻賢母像」を打破しようと試みました。一方の神田さんは、妻の類まれな才能を誰よりも認め、応援したい気持ちを抱えながらも、海外と日本を往復し多忙を極める生活のなかで、次第に埋められない心理的距離を感じていったとされています。
1997年1月に行われた離婚発表の記者会見で、ふたりは憎しみ合っての別れではないことを強調しました。神田正輝さんは会見で「僕たちはこれでお別れですが、聖子は聖子、神田は神田として歩んでいく。お互いの人生のステップアップのための話し合いだった」と語り、松田聖子さんも「これからは良き友人として、そして娘の父親・母親として助け合っていく」と述べました。当時の芸能界では前例が少なかった「お互いを尊重するための円満離婚(いわゆる卒婚の先駆け)」という選択は、世間に大きな衝撃と新鮮な印象を与えたのです。