安孫子素雄という不世出の表現者を育んだ背景には、ドラマチックな安孫子素雄の経歴と、昭和のマンガ梁山泊であるトキワ荘の歴史が存在します。
1934年、富山県氷見市の光禅寺(曹洞宗の由緒ある寺院)の住職の長男として誕生。幼少期に父親を亡くしたことで高岡市へ転居し、そこで転校生として現れた藤本弘氏と出会いました。高校卒業後、安孫子氏は叔父が役員を務めていた富山新聞社に入社し、学芸部で記者や似顔絵描きとして勤務。サラリーマンとしての安定した生活を経験し、社会の縮図を取材現場で肌で知ったことが、のちのリアルな人間描写の土台となります。
しかし、先に上京を決意していた藤本氏からの強い誘いを受け、安孫子氏は安定を捨てて退職。1954年、東京都豊島区にあった木造アパート「トキワ荘」へと身を投じます。そこには、寺田ヒロオをリーダーに、石ノ森章太郎、赤塚不二夫ら、のちに日本漫画の黄金期を築く若き才能が集結していました。四畳半の部屋で銭湯通いを続け、ラーメン一杯の代金にも事欠く極貧生活の中で、彼らは毎夜のように漫画論を戦わせました。
当時の仲間たちが一様に証言するのは、安孫子氏の突出した「人間的魅力」です。内向的な性格の多かったトキワ荘の住人の中で、安孫子氏は飛び抜けて社交的であり、出版社の編集者たちと積極的に酒を酌み交わし、人脈を広げるプロデューサー的役割も担っていました。夜の銀座や六本木を愛し、バーの片隅で人間模様をスケッチし続けた日々が、ドロドロとした大人の業を描く筆先を研ぎ澄ませていったのです。