新婚生活の甘やかさは、直己の遠征によって幾度となく中断された。年の大半を極寒の地や海外遠征で過ごす夫。家に残された公子さんは、夫の食料調達の手配や資金繰りのサポート、関係各所との連絡調整を一手に引き受け、いわば「東京基地」の総責任者として奔走した。
携帯電話もインターネットもない時代だ。一度出発すれば、数カ月もの間、安否すら分からない。唯一の糸口は、極地から不定期に届く直筆の手紙だけだった。「公子、寒いです」「君の味噌汁が飲みたい」。手紙に綴られていたのは、英雄としての気負いを脱ぎ捨てた、一人の不器用な夫としての赤裸々な本音だった。公子さんはその文字を指先でなぞりながら、ただ無事に帰る日を待ち続けた。