東京土産として真っ先に浅草を想起する人は少なくありません。しかし、人形焼の発祥と歴史を紐解くと、その揺るぎない原点は中央区日本橋人形町にあります。
公式の文献や業界記録によると、人形焼のパイオニアとされているのが、1907年(明治40年)に創業した板倉屋です。当時、人形町周辺で乾物店を営んでいた初代・藤井氏と開発パートナーの古本氏が、庶民の間に小麦粉と鶏卵が普及し始めた時代潮流を捉え、大阪の銘菓であった「釣り鐘まんじゅう」を基に新たな焼き菓子を考案したのが始まりと伝えられています。
人形町は江戸時代から歌舞伎の芝居小屋や人形芝居が集まる興行街として栄えた街でした。考案当初は文楽人形や狂言の面、七福神の全身像を模った焼き型が用いられていましたが、全身像は型が複雑で餡のまわりや火の通りが均一になりにくく、職人の現場判断によって次第に親しみやすい「顔だけの意匠」へと進化を遂げました。この人形町を元祖とする人形焼の成功を受け、大正時代に入ると人形町で修行を積んだ職人たちが浅草へと渡り、浅草寺参詣の観光客向けに独自の型を開発していったのです。