ザ・デストロイヤーの足跡は、日本プロレス史および日本のテレビ文化史そのものと言っても過言ではありません。彼の存在を決定づけた重要なエピソードは3つあります。
1. 力道山との死闘と「足4の字固め」の恐怖
1963年5月24日、東京体育館で行われた力道山とのWWA世界ヘビー級選手権は、平均視聴率64.0%という驚異的な記録を樹立しました。デストロイヤーの代名詞である「足4の字固め(フィギュア・フォー・レッグロック)」に悶絶する力道山の姿は、日本全国の視聴者にトラウマ級の衝撃を与えました。技を外そうと必死にもがく力道山と、冷徹に絞り上げる白覆面の姿は、昭和プロレスの黄金期を象徴する名場面です。
2. ジャイアント馬場との友情と全日本プロレス移籍
力道山の死後、日本プロレス界を牽引したジャイアント馬場とも名勝負数え唄を繰り広げました。しかし1973年、デストロイヤーは全日本プロレスに主戦場を移し、馬場と共闘する道を選びます。かつての凶悪ヒールから、フェアな戦いを重んじる「愛される外国人エース」へと変貌を遂げ、初代PWFヘビー級王者として君臨するなど、団体の屋台骨を支えました。
3. 『金曜10時!うわさのチャンネル!!』でのお茶の間の人気者へ
日本テレビ系の伝説的バラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』へのレギュラー出演は、彼をお茶の間の国民的スターへと押し上げました。和田アキ子やせんだみつお、徳光和夫らと共演し、マスクを被ったままズッコケたり、「タコ!」と叫びながら和田アキ子に突っ込まれる姿は爆発的な人気を獲得。リング上での圧倒的な強さと、バラエティで見せる人懐っこい愛嬌の二面性が、日本人の心を完全に掴みました。