岩井俊二監督のキャリアは、常に絶賛と激しい物議が隣り合わせでした。その象徴が2001年の『リリイ・シュシュのすべて』と、2026年に公開されその後配信で爆発的な議論を呼んだ『キリエのうた』です。
『リリイ・シュシュのすべて』において観客を震撼させた理由は、美しい田園風景と痛ましい暴力の不条理な落差にあります。主人公の蓮見雄一(市原隼人)と、かつての親友でありながら冷酷ないじめの主犯へと変貌した星野修介(忍成修吾)。作中で語られる「エーテル」という不可視の癒やしの概念は、インターネット掲示板という匿名の避難所でのみ共有される信仰でした。ネット黎明期のテキストチャットのインターフェースをそのまま映像に組み込み、逃げ場のないスクールカーストの地獄をあぶり出した本作は、「思春期の痛みを完璧に言語化した奇跡」と評される一方で、「二度と観たくないほどの精神的トラウマを負った」という拒絶反応を生み続け、今なおカルト映画としての神話性を保っています。
一方、アイナ・ジ・エンドを主演に迎え、松村北斗、黒木華、広瀬すずらが集結した『キリエのうた』に対するネット上の反応は、まさに賛否両論の嵐でした。SNSやFilmarks等のレビュー動向を分析すると、以下のような鮮明な分断が見られます。
肯定派からは、「アイナ・ジ・エンドの剥き出しの歌唱シーンだけで涙が止まらない」「言葉を失った少女が路上で歌う瞬間の爆発力は、現代版『スワロウテイル』だ」と、音楽映画としての圧倒的なエモーションが高く評価されました。対照的に批判的な声としては、「東日本大震災のトラウマ描写が生々しすぎて心理的負荷が大きい」「178分という長尺の中で時系列が激しく交錯し、物語の輪郭が散漫に感じられる」といった指摘が噴出しました。しかし、この「決して観客におもねらない過剰な熱量」こそが、岩井俊二が商業主義の枠組みに回収されていない作家であることの証左とも受け止められています。