黒い霧事件の中で最も世論の同情を集め、球界の理不尽な体質を浮き彫りにしたのが池永正明投手の存在でした。
下関商業高校時代に甲子園で春夏連覇に貢献し、1965年に西鉄へ入団した池永投手は、高卒1年目から20勝を挙げて新人王を獲得。わずか5シーズンで通算103勝を積み上げ、将来の200勝・300勝は確実と称された日本球界屈指の大エースでした。
しかし、先輩である船田選手から「これを預かっておいてくれ」と渡された現金100万円を持っていたことが運命を暗転させます。池永投手は八百長の誘いを断固として拒否し、渡された試合でも渾身の投球で勝利を収めていました。しかし、「怪しい金を預かりながら球団に報告しなかった」という理由だけで、コミッショナー委員会は情状酌量を一切認めず、最も重い永久追放処分を下したのです。
池永投手の名誉回復の理由と道筋は、まさに執念の戦いでした。恩師である元西鉄監督の稲尾和久氏をはじめ、長嶋茂雄氏、野村克也氏ら球界の重鎮、さらには法学者やファンによる大規模な復権署名活動が展開されました。当時のコミッショナー判断には適正手続き(デュー・プロセス)が欠けており、八百長を実行した選手と同列に永久追放とするのは著しく均衡を欠くという法理的な指摘が長年なされ続けたのです。
そして事件から35年が経過した2005年4月、NPBは野球協約を改定し「処分の再審査規定」を新設。同年4月25日、コミッショナー委員会は池永氏の処分を取り消す決定を下しました。公式に名誉が回復された池永氏は会見で涙を流し、長きにわたる無念を晴らしました(2026年に76歳で逝去)。