なぜJRA競馬において、これほど長きにわたり関東馬関西馬格差が定着してしまったのか。その発端は、1985年に栗東トレーニングセンターへ日本初のウッドチップ坂路コースが開設されたことに端を発します。平坦なコース追いで仕上げていた従来の調教手法に対し、後肢の筋力を強制的に鍛え上げ、心肺機能へ急激に負荷をかけられる坂路の導入は、競走馬の筋力育成において革命的なパラダイムシフトをもたらしました。
美浦トレーニングセンターにも1993年に坂路が新設されたものの、敷地内の地形的制約から高低差はわずか18mにとどまり、栗東の32mとは比較にならないほど緩やかな勾配でした。この「調教負荷の物理的限界」こそが、西高東低理由の根幹です。負荷をかけられる栗東所属馬はタフな競馬で競り勝ち、美浦所属馬はレース後半のスタミナ勝負で脱落するという構図が数十年間にわたって固定化しました。
この設備格差は、単なる競走馬のフィジカル差にとどまらず、競馬サークル全体の「人材と有力馬の偏在」という二次災害を引き起こします。有力馬主や大手ブリーダーはクラシックを勝てる素質馬をこぞって栗東の有力厩舎へ預託し、全国から集まる優秀な若手騎手や騎乗技術に長けた調教助手も関西へ集中。社会学でいう「経路依存性(歴史的経緯により一度定まった仕組みから抜け出せなくなる現象)」が働き、関東競馬界全体が深い閉塞感に沈むこととなりました。