試合直後、明徳義塾の宿舎には日本全国から抗議や脅迫の電話が殺到しました。その数は1000本以上に達し、電話回線がパンクしたため警察が宿舎の警備に配置される事態となりました。選手たちは窓際へ近づくことすら禁じられ、夜も外出が制限されるなど、極限の緊張状態を強いられることになりました。
次戦で明徳義塾は敗退し、馬淵監督に対するメディアの激しいバッシングは長期間にわたって続きました。しかし時が流れ、松井がプロ野球の読売ジャイアンツ、そしてメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースで世界の頂点を極める大打者へと成長していくにつれ、世間の見方は劇的に変化していきました。「あの怪物を高校時代に見抜いて全打席敬遠させた馬淵監督の眼力は本物だった」と再評価されるようになったのです。
現在、松井秀喜と馬淵監督の間には強い絆と相互リスペクトが存在しています。名球会のイベントや対談などで顔を合わせる際、松井は「あの敬遠があったからこそ、プロに入ってからどんな勝負にも動じない強い心が育ちました」と馬淵監督へ感謝の意を伝えています。馬淵監督もまた、松井の偉大な足跡を誰よりも称え続けており、因縁を超えた固い絆で結ばれています。