旧吉田茂邸の歴史は、明治17年(1884年)に吉田茂の養父である実業家・吉田健三がこの地を購入し、別荘を建てたことに始まります。養父の急逝後に邸宅を相続した茂は、第二次世界大戦末期の1945年頃から本邸として本格的に移り住み、内閣総理大臣退任後も1967年に89歳で世を去るまでこの大磯で暮らしました。
昭和の政治史において、この邸宅は単なる私邸にとどまりませんでした。サンフランシスコ平和条約の締結に向けた外交交渉の詰めの舞台となり、池田勇人や佐藤栄作といったいわゆる「吉田学校」の門下生たちが政策の助言を求めて足繁く通った場所でもあります。政界の要人だけでなく、海外の賓客も迎え入れた「大磯の迎賓館」としての顔も持っていました。
しかし、2009年3月22日未明、日本中に衝撃が走ります。敷地から出火した火災により、木造2階建ての本館約940平方メートルが全焼してしまったのです。近代日本を象徴する歴史的遺産の焼失に、地元住民をはじめ全国から落胆の声が広がりました。
そこから奇跡の復活が始まります。大磯町と神奈川県が中心となり再建プロジェクトが立ち上がると、公的な支援のみならず、企業や全国の一般有志から総額5億円を超える寄付金が集まりました。再建にあたっては、昭和を代表する建築家・吉田五十八(よしだいそや)が昭和20〜30年代に増改築を手がけた詳細な設計図面や当時の膨大な写真、残存した基礎調査データを徹底解析。宮大工をはじめとする現代最高峰の職人たちが集結し、土壁の配合から銘木の選定、数寄屋の細部納まりに至るまで、2017年(平成29年)春に見事な再建を果たしました。