1990年代後半、トイズファクトリーへのレーベル移籍を果たしたバンドはスタジアム級の動員を誇るモンスターバンドへと変貌した。だが、栄光の影で吉井の精神と肉体は悲鳴を上げていた。年間113本に及ぶ伝説的な「PUNCH DRUNKARD TOUR」は、バンドに莫大な成功をもたらしたと同時に、メンバーの心身を限界まで摩耗させた。
家族を守るため、吉井は自然豊かな静岡県内に居を構えた。しかし制作のために東京と静岡を行き来する二重生活が続き、物理的・精神的な距離は少しずつ広がっていった。2001年のバンド活動休止、そして2004年の解散。燃え尽き症候群と闘いながらソロアーティストとして再起を図る過程で、二人は夫婦という形式を解消する道を選んだ。