松島新地が現在の姿に至る背景には、大阪の近代都市形成と深く結びついた激動の歩みがあります。この地の歴史的経緯は、明治維新直後の1868年(明治元年)に遡ります。大阪開港に伴い、市街地各所に散在していた遊廓を統合・移転する政策がとられ、木津川と尻無川に挟まれた「寺島」と呼ばれた地域、その北端である「松ヶ鼻」に松島遊廓が開設されました。
戦前の松島遊廓は西日本最大級の規模を誇り、大正時代には豪華絢爛な大門や壮麗な楼閣が立ち並ぶ巨大な花街として栄華を極めました。しかし、1945年の大阪大空襲によって壊滅的な打撃を受け、多くの建築群が灰燼に帰しました。戦後、焼け野原からの復興を遂げたものの、1958年の売春防止法施行に伴い「料亭」への転業を余儀なくされます。
現在残る数寄屋造り風の格子戸や繊細な欄間、坪庭を備えた町家風の木造家屋は、明治・大正の意匠を再現しながら昭和中期に再建されたものが大半です。松島新地の料亭の評判を歴史的観点から紐解くと、単なる風俗街ではなく、都市計画の変遷と下町の生活史が凝縮された「生きた近代産業・文化遺産」としての性格を帯びていることが理解できます。