鈴ヶ森刑場が開設されたのは、徳川第4代将軍・家綱の治世初期である1651年(慶安4年)のことです。同年に発生した軍学者・由比正雪らによる幕府転覆未遂事件(慶安の変)を契機に、反乱分子への厳罰化と治安維持の強化を目的に設置されました。
当時の江戸は急速な人口流入に伴い、治安維持が喫緊の課題となっていました。幕府は東海道を経由して江戸市中に入る玄関口にあたる品川宿の南端に処刑場を設けることで、「江戸の法を破ればこうなる」という強烈な視覚的威嚇(一般予防効果)を狙ったのです。旅人が鈴ヶ森を通過する際、街道沿いに晒された無数の生首や遺骸を目撃することになり、その心理的抑止力は絶大でした。
1871年(明治4年)に明治新政府の近代法整備に伴い廃止されるまで、約220年間にわたり機能し続けた鈴ヶ森は、まさに徳川幕府の厳罰主義を象徴する空間でした。