京都府出身である彼女が、いかにして言葉や文化の壁を打ち破りハリウッドの扉を開いたのか。その波乱万丈な経歴は、並外れた行動力によって支えられています。
高校卒業後、アルバイトで資金を貯めた彼女はバックパッカーとして単身タンザニアへ渡航。難民支援活動の現場などに触れる中で「国際的に影響力を持つ表現者になりたい」という強い志を抱くようになります。帰国後は名門俳優養成機関であるアップスアカデミー(UPS Academy)でメソッド演技の基礎を徹底的に叩き込み、21歳で単身ロサンゼルスへ渡りました。
渡米当初はエキストラや小規模なウェブドラマに出演しながら、オーディションを受け続ける日々が続きました。特筆すべきは、現地で徹底的に磨き上げたネイティブレベルの英語力です。単なる語学学習にとどまらず、現地のアメリカ人と共同生活を送り、台本の読解やディベートを繰り返すことで、自然な感情表現を英語でこなすバイリンガル女優としてのスキルを確立しました。この圧倒的な語学力と、幼少期から培った日本舞踊や殺陣の素養が融合し、2015年の大ブレイクへと結びついたのです。