今注目を集めている 中村獅童の父・初代獅童の壮絶人生|梨園廃業の真相と萬屋の血統について、主要な情報を整理して公開しています。
中村獅童を巡る家族構成は、まさに日本近代芸能史の縮図といっても過言ではありません。父・小川三喜雄氏が築いた家庭、そして萬屋一門の相関図を整理すると、二代目獅童がいかに特異な立ち位置から這い上がってきたかが浮き彫りになります。
人物・項目詳細・家族内での役割一般的な梨園の基準編集部の独自分析・評価父:初代中村獅童
(小川三喜雄)三代目時蔵の三男。14歳で廃業後、東映映画プロデューサーへ転身。後に個人事務所会長。現役幹部俳優として後進を指導するのが通例舞台のしがらみを離れ、民間のプロデュース手法を息子に注入した稀有な存在。母:小川陽子さん京都出身。後ろ盾のない息子を幹部俳優に押し上げるため私財を投じて奔走。2013年急逝。「梨園の妻」として夫と一門の裏方に徹する実質的な総合プロデューサー。息子を支え抜いた強靭な精神力は伝説的。叔父:萬屋錦之介三喜雄氏の実兄。昭和を代表する時代劇の大巨星。二代目獅童の憧れの原点。一門の総帥として興行のトップに君臨二代目獅童の「銀幕と舞台を股にかけるスタイル」の絶対的ロールモデル。二代目中村獅童
(息子)1972年生まれ。後ろ盾なき下積みから映画『ピンポン』で覚醒。超歌舞伎など新境地を開拓。幼少期からの部屋子・名題コースによる昇進父の反骨精神と母の戦略眼を受け継ぎ、血統の枠を実力で突破した開拓者。
萬屋の系譜において、二代目獅童のポジションは極めて特殊でした。父が現役の歌舞伎役者ではないということは、梨園においては「後ろ盾がない」ことを意味します。大名跡の御曹司たちが幼少期から主要な役を与えられる中、獅童は通行人や兵卒といった端役ばかりの日々を強いられました。
その過酷な運命を打ち破ったのが、京都の良家出身である母・小川陽子さんの存在でした。陽子さんは挨拶回りを徹底し、興行主や諸先輩の役者たちへ頭を下げ続け、獅童が出演できる場を切り拓いていきました。「父が引いた静かなプロデュースの設計図」と「母が最前線で戦った営業力」。この両輪があったからこそ、後ろ盾を失っていた小川家から再び大名跡が蘇ることになったのです。